北九州予備校(きたき
北九州予備校(きたきゅうしゅうよびこう)は、九州地方や山口県で展開している予備校である。略称「北予備」(きたよび、きたび)。メインは大学進学コースであるが、医歯薬系受験科や現役生コース、美術コース、公務員試験コースもある。本部は福岡県北九州市小倉北区馬借1-6-5。校舎は小倉、黒崎、博多、山口、長崎、大分、鹿児島、熊本にある。各校舎、多数の直営寮を経営している(2006年現在全17棟)。「努力は実る」がモットーで売り文句は「九州、山口で生徒数No.1の信頼と実績」。校風は日本一厳しいと自称している。かつて井上陽水が在籍していたという噂があるが、定かではない。なお、下記の記述は主に本部(小倉校)に関するものである。
目次
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教育
講師は北予備所属の者の他、他予備校との提携で東京、大阪、福岡から毎週多数招聘している。何故か個性的でアクの強い講師が多い。授業は板書を旨としていて、生徒の出席を特に重んじる。模試はベネッセコーポレーションの進研模試と独自の模試を併用している。自習室は時間性となっており、休み時間にしか入退室ができない、居睡りをしていると監視員に起こされるなど、校風からか厳粛な雰囲気である。快適な自習室とのことであるが、各校舎とも木製の長机に長椅子がほとんどであり、小倉校など建築されてから年月の経った所ではかなりボロがでている。そのため座布団を持参する生徒がよく見うけられる。年間行事には入学式、体育大会、座禅会などなかなかユニークなものがあり、これは「北予備は学校である。」という理念が元となっているものと思われる。
宣伝
地元の大学受験に関わる人間の間では有名なことであるが、北予備は自校を賛美し他校を批判(基本的に河合塾と代ゼミ)する自信満々の宣伝をする。しかし中には他校の批判材料がそのまま北予備に当てはまることもしばしばである。例としては大手予備校のダブル、トリプルスクールや模試、短期講習参加者による合格者数の割増。北予備は案内書などでこの存在を徹底否定しているが、実際生徒には予備校の掛け持ちが存在する。下記する小倉予備校戦争などはその特徴の最たるものであろう。しかし、これは地元の生徒を確保するために必死な地域型の中堅予備校には得に珍しいことではなく、宣伝が過剰だからと言って教育内容がずさんであるわけでは決してない。なお、大学受験科の案内資料は入学案内の他に先輩の体験談が5冊以上に渡っており、資料一式でかなりの量である。
小倉予備校戦争
1980年代中ごろに大手予備校の代々木ゼミナールや河合塾が相次いで福岡市に進出し、地元の予備校の中には廃校や休校に追い込まれるところも出た。こうした中、1988年に代々木ゼミナールが北九州予備校の本拠地である北九州市小倉北区への進出を計画していることが明らかになると、危機感を強めていた北予備は敏感に反応した。そして福岡県に代々木ゼミナールの認可を出さないよう圧力をかけた結果、福岡県は代々木ゼミナールに認可を出さなかった。しかし代々木ゼミナール「小倉」は認可がないまま1989年4月に「開校」を強行。北予備はネガティブキャンペーンでこれに報復。同年の12月にようやく認可が出て、代々木ゼミナール「小倉校」となった。1990年には河合塾北九州校も開校したが、長年北予備のシェアを奪うことはできなかった。この一連の出来事を「小倉予備校戦争」と北予備は称し(北予備の入学案内によれば『地域トップの北予備が迎え撃つ形の「小倉予備校戦争」と、はやしたてられましたが、』とあるが、そんな通称を使っているのは北予備のみであり、自身でで名付けた可能性が高い)、2006年現在でも入学パンフレットなどでは『「Yゼミ」、「K塾」に対し完全勝利』と喧伝している。
近年の勢力
近年多数の予備校が存在するようになり、主力(ここでは北予備、河合、代ゼミ)数校により独占の状態ではなくなっている(しかし上記のダメージが祟ってか、代ゼミは極めて生徒数が少なく、2006年の大学受験科の生徒数は200人程度に留まっている)。北予備の勢力低下に関しては上に挙げた他校への攻撃的な喧伝、やや見掛け倒しの厳しさなどにより、生徒間でのイメージが下がったことにあろう(間違っても予備校としての実質評価ではない。悪い冗談で北予備のことを「北」などと呼ばれることからも、イメージが先出している)。しかし小倉駅に近い、何より学費免除(特待生)のボーダーが他校に比べ非常に低いなどの理由から、イメージなどは気にせずに北予備を選ぶ生徒も多く、依然北九州市ではある程度の勢力を保っている。
外部リンク
- 北九州予備校