自由(じゆう)とは、
自由(じゆう)とは、他のものから拘束・支配を受けないで、そのもののあるがままにあることを言う。
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自由の概念
近代における自由の概念は、他者の意志にではなく自らの意志に従って行為することとして捉えることができる。この自由概念が封建的な身分制からの解放という思想を導き、ヨーロッパにおける市民革命を育んだ。
自由はまた他者の自由とも衝突する。 他者の自由を尊重せず勝手な振る舞いをしてはならない、という考え方は、J.S.ミル『自由論』のなかで表明され、今日他者危害の原則として広く支持されている自由観である。
また、エーリッヒ・フロムは『自由からの逃走』において、他者からの介入を受けず、個人主義に基づいて私的領域を確立する消極的自由の概念は、個人の孤独を増大させ他者との関係、指導者との関係を求めて最終的には全体主義へと繋がる恐れがあるとする一方、アイザイア・バーリンは、「二つの自由概念」において、フロムがそれの対照概念として挙げた積極的自由の概念も、他者との連帯を求めるが故に究極的には全体主義へ繋がるとしている。
このように、自由とは論争的概念なのである。
「フリーダム」と「リバティ」
「フリーダム(freedom)」と「リバティ(liberty)」は、ともに自由と訳される。現在、この二つの語はほぼ同じ意味で用いられるが、その意味合いは微妙に異なっている。フリーは古英語frēoに由来し、束縛や拘束がない状態、すなわち自由の消極的側面が強調される。一方リバティはラテン語のliberatemが語源であり、選択や行動・発言の権利が保障された状態、つまり積極的側面に比重が置かれる。
両者の共通点は、現在的意味合いの自由とは異なる意味で用いられた点である。freedomおよびlibertyの用法にも残っているが、近世までは特権を意味する語であった。民衆の持ちえない権利を有している状態がfreedom/libertyであった。1729年に出版された辞書によれば、権利付与や時効によって得られる高貴なる者の特権と定義され、但し書きで「一部で、各人が思うように行動できる力という意味でも用いられてきている」と言及されている[1]。
訳語の由来
福沢諭吉がリバティを訳するに際して、仏教用語より「自由」を選んだ。初めは、「御免」と訳す予定であったが、上意の意味が濃すぎると考え、あらためた。
いろいろな自由
日本国憲法には以下のような自由権が謳われている。
- 精神的自由
- 思想・良心の自由
- 信教の自由
- 学問の自由
- 集会の自由
- 結社の自由
- 表現の自由
- 経済的自由
- 居住移転の自由
- 職業選択の自由
- 外国移住・国籍離脱の自由
- 人身の自由
- 奴隷的拘束・苦役からの自由
- 令状なき不当な勾留からの自由
- 勾留拘束に当たっての法定手続の保障
仏教用語の自由
仏教用語での自由は、「自に由る」(おのずからに、よる)の意味から無我や自己責任の概念で使われる。
脚注
- ↑ 松浦高嶺『イギリス近代史論集』第4章「18世紀のイギリス」、山川出版社、2005年。
関連項目
- 責任
- 権利
- 義務
- 憲法
- イマヌエル・カント
- 自由意志
- 自由度
- 自由席
- 自由落下