トップページ > 進学・教育情報 > 私立中学校紹介 > あ行 > 浅野学園

浅野学園

浅野学園は(あさのがくえん)は、横浜市神奈川区子安台にある男子中学・高等学校の浅野中学・高等学校を運営する学校法人。創設者は、実業家・浅野総一郎で、創設は1920年(大正9年)である。
 当初はアメリカのゲイリーシステムという勤労主義を導入。学内の一角に作られた工場による科学技術教育と、実用的な語学教育を特色としていた。また、戦前~戦後まもない頃は神奈川県内屈指の野球の強豪校として知られ、甲子園に春1回・夏3回出場している。最高位は全国ベスト8。
 戦後まもなく中高一貫制を確立、70年代から進学実績を伸ばし、現在では神奈川県有数の進学校として高い評価を得ている。全校生徒は、およそ1600人ほど。毎年270名の新中学1年生を募集し、毎年約2,000人あまりの志願者がいる。


目次 [非表示]
1 沿革
2 教育方針
2.1 校訓
2.2 スローガン
2.3 概要
2.4 カリキュラム
2.5 校章の由来
3 地理
3.1 校内
4 主な卒業生
5 関連項目
6 外部リンク


[編集]
沿革
1920年(大正9年) 浅野綜合中学校の設置が認可され、初代校長に水崎基一就任
1923年(大正12年) 実習場が建設され、工場実習が課外必修となる
1923年(大正12年) 関東大震災により校舎の大部分が倒壊
1938年(昭和13年) 初代校長水崎基一死去、第二代校長に神名勉聰就任
1945年(昭和20年) 空襲により木造校舎の全部を焼失
1948年(昭和23年) 学制改革により浅野綜合中学校は浅野中学校、浅野高等学校として新制度に移行
1967年(昭和42年) 学園長に神名勉聰、第三代校長に浜野駿吉就任
1970年(昭和45年) 創立50周年
1978年(昭和53年) 浜野駿吉退任、第四代校長に石山延雄就任
1987年(昭和62年) 高校新校舎(現中学校舎)竣工
1990年(平成2年) 第五代校長に山口敬三就任
1994年(平成6年) 第六代校長に石橋義史就任
1995年(平成7年) 本館、中学・高校新校舎竣工
2002年(平成14年) 学園長に石橋義史、第七代校長に淡路雅夫就任
[編集]
教育方針
[編集]
校訓
愛と和 
九転十起
[編集]
スローガン
文武両道 
部活と勉強の両立を目標としている。
[編集]
概要
自主独立の精神、義務と責任の自覚、高い品位と豊かな情操を具えた、心身共に健康で、創造的な能力を持つ、逞しい人間の育成に努める。

[編集]
カリキュラム
特色として、希望大学への進学を実現するための6ヵ年カリキュラム、授業を基本にした効率的な指導、実績に裏付けられたオリジナルテキストの利用、の三点が挙げられる。

[編集]
校章の由来
3つのAと月桂樹から形作られている。Aは浅野の頭文字であると同時に“一番・優秀”の象徴であり、3は“智・仁・勇”“天・地・人”を意味している。「常に誇り高き勝利者たれ」という生徒たちへの願いが込められている。

[編集]
地理
京浜工業地帯、ベイブリッジを眼下に見渡す高台に位置し、曇天でもよく見える。 58,655㎡の広大な敷地を有し、そのほぼ半分は「銅像山」と呼ばれる自然林に占められ、豊な緑で包まれている。

[編集]
校内
敷地内には、グラウンド、本館、中学棟、高校棟、中学ホール、講堂、生徒ホール、体育館、プール、第1広場、第2広場、多目的コート、部室、テニスコート、格技場、ハンドボールコート、銅像(浅野總一郎翁)がある。地下2階、地上5階建ての新校舎(高校棟)は最新機器を導入したコンピュータ室、120インチビデオプロジェクターを備えた語学演習室をはじめ先進の教育環境を整えている。スポーツ施設が各種整い、クラブ活動や体育の授業に活用されている。

[編集]
主な卒業生
大出俊(政治家(日本社会党、元郵政大臣)
飯田徳治(プロ野球、元南海ホークス・国鉄スワローズ選手・監督)
堀威雄(株式会社ホリプロ ファウンダー)
八木柊一郎(劇作家)
堺正幸(フジテレビアナウンサー)
[編集]
関連項目
浅野総一郎
浅野財閥
浅野駅

[編集]
外部リンク
浅野中学・高等学校
浅野学園同窓会ホームページ