早稲田実業学校
早稲田実業学校(わせだじつぎょうがっこう)は東京都国分寺市本町に所在する私立共学校。
正式名称は「早稲田大学系属早稲田実業学校」。略称「早実(そうじつ)」、他に「実業」、「早稲田実」などがある。
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1 概要
2 沿革
3 学科
4 校是・校訓
5 校歌
5.1 歌詞
6 OB・OG
6.1 政財界
6.2 学者
6.3 文化芸能
6.4 スポーツ
7 関連項目
8 外部リンク
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概要
運営主体は学校法人早稲田実業学校。理事長は早稲田大学総長の白井克彦。大学とは別法人で、早稲田大学の系属校となっている。小中高の一貫教育を行い、早稲田大学への推薦入学制度がある。推薦率の向上や共学化に伴って人気が上昇し、首都圏では最難関校の一つに数えられている。校名は「実業学校」だが、現在は実質的に実業教育を施していない。古くから体育系のクラブ活動が盛んであり、多くの部が全国レベルの活躍をしている。中でも硬式野球部は全国高校野球大会(甲子園)に出場44回(うち夏大会26回、春大会18回)と全国でも屈指の名門校である。2006年のセンバツに出場し、1982年以来24年ぶりとなるベスト8の記録を残した。春夏併せての通算成績は50勝43敗。
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沿革
1901(明治34)年に、早稲田大学の創立者である大隈重信の教育理念を実現し、その建学精神に基づいた中等教育をめざして大隈重信の周囲の者達により設立された。「豊かな個性と高い学力をもち、苦難にうち勝つたくましい精神力を兼ね備えた人物」を育成するために、校是として「去華就実」(華やかなものを去り、実に就く)を、また校訓として「三敬主義」(他を敬し、己を敬し、事物を敬す)を創立当初から掲げてきた。以来、実業界を中心に多彩な人材を世に送り出し、また大正期に入るとスポーツ活動の充実を図り、質実剛健の校風が確立されていった。その後、戦災で校舎は廃墟となったが、関係者の尽力により復興を果たし、戦後の急速な発展を見た。2001年に創立100周年を迎え、それまで早稲田鶴巻町にあったキャンパスを国分寺に移転した。さらに2002年4月からは、早稲田大学の系列校では初めて中等部、高等部とも男女共学を実施、また初等部を開設するなど、早実第二世紀にふさわしいスクール・アイデンティティーの構築を目指し、学校改革に取り組んでいる。
1901年:早稲田大学の創設者たちにより早稲田実業中学として開校。初代校長大隈英麿。
1902年:早稲田実業学校と改称。二代目校長に天野為之。
1907年:早稲田鶴巻町に校舎を移す。
1917年:早稲田騒動により天野が早稲田大学を去り、早実も大学の傘下から離れる。
1926年:早稲田商科学校を併設。
1944年:早実工業学校を設置(翌年廃止)。早稲田商科学校は廃止。
1948年:学制改革により中・高の六年制となる。高等部第二本科(夜間)は四年制。
1963年:「早稲田実業学校の早稲田大学系列下編入に関する合意書」を調印。再び創立時の形態に戻り、早稲田大学の系列に復帰。
1964年:普通科を設置。
2001年:国分寺市本町の新校舎に移転。
2002年:商業科募集停止。男女共学を実施。初等部開校。
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学科
初等部
中等部
高等部商業科(2002年4月に募集停止)
高等部普通科
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校是・校訓
去華就実(華やかなものを去り、実に就く)
三敬主義(他を敬し、己を敬し、事物を敬す)
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校歌
早稲田実業学校校歌
1913年に制定された。作詞は相馬御風、作曲は永井建子。 六番から構成されるが、現在は一番と二番のみ歌われる。
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歌詞
一
都のいぬゐ早稲田なる
常盤の森のけだかさを
わが品性の姿とし
実る稲穂の帽章に
去華就実のこの校風を
高くぞ持するわが健児
二
国と国との隔てなき
民の利福を理想とし
世界を一に結ぶべき
大なる使命をになひたる
聖き活動我が早実の
未来の鍵はここにあり
※作詞者の死後50年以上経過しているため、2000年に著作権保護期間が終了している。
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OB・OG
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政財界
松永東 - 政治家 元衆議院議長 1909年卒
高瀬荘太郎 - 政治家 元文部大臣 1909年卒
木村茂 - 元千代田区長 1942年卒
福永正通 - 東京メトロ副社長 元東京都副知事 1960年卒
鎌田泉 - 白元創業者 1923年中退
酒井億尋 - 荏原製作所元社長 1926年卒
本吉敏男 - アシェット婦人画報社元会長 1942年卒
重光武雄 - ロッテグループ総師 1946年卒
岡部稔 - 岡部ホテルグループ社長 1960年卒
菅原一秀 - 衆議院議員(自民党)
萩生田光一 - 衆議院議員(自民党)
平将明 - 衆議院議員(自民党)、日本振興銀行役員
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学者
齊藤金作 - 刑法学者・教授 1920年中退
金貞泰 - 元韓国政府施設評価委員・教授 1945年卒
三島博信 - 医学博士・教授 1945年卒
山下精彦 - 医学博士・教授 1958年卒
北野宏明 - ソニーコンピュータサイエンス研究所取締役副所長 1979年卒
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文化芸能
堀秀彦 - 脚本家・演出家 1943年卒
都筑道夫 - 小説家・翻訳家 1946年中退
ハル常住 - ゴルフジャーナリスト 1974年卒
竹久夢二 - 画家・詩人 1905年中退
林武 - 画家・教授 1910年中退
藤原義江 - オペラ歌手 1914年中退
一龍斎貞丈(5代目)-講談師 1926年中退
内海清美 - 和紙彫塑作家 1956年卒
大迫一輝 - 陶芸家 1978年卒
テリー伊藤 - 番組プロデューサー・タレント 1968年卒
樋口淳一 - NHKアナウンサー 1970年卒
小室哲哉 - ミュージシャン・音楽プロデューサー 1977年卒
向坂樹興 - フジテレビアナウンサー 1978年卒
水谷彰宏 - NHKアナウンサー 1983年卒
野島卓 - フジテレビアナウンサー 1985年卒
斉藤一美 - 文化放送アナウンサー 1986年卒
田崎竜太 - 映画監督 1983年卒
清水次郎 - 朝日放送アナウンサー 1990年卒
石井輝男 - 映画監督 中退
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スポーツ
荒川博 - 元プロ野球選手・監督 1949年卒 早大卒
榎本喜八 - 元プロ野球選手 1955年卒
王貞治 - 元プロ野球選手・監督、野球殿堂 1959年卒
大矢明彦 - 元プロ野球選手・監督 1966年卒 駒沢大卒
川又米利 - 元プロ野球選手・解説者 1978年卒
石井丈裕 - 元プロ野球選手 1983年卒 法政大卒
荒木大輔 - 元プロ野球選手・解説者 1983年卒
上福元勤 - 元プロ野球選手 1984年卒
板倉賢司 - 元プロ野球選手 1984年卒
石渡茂 - 元プロ野球選手 1971年卒 中央大卒
田野倉利行 - 元プロ野球選手 1973年卒
徳武定之 - 元プロ野球選手・千葉ロッテ・中日代行監督 早大卒
醍醐猛夫 - 元プロ野球選手 1957年卒
荒川堯 - 元プロ野球選手、東京六大学野球通算本塁打4位 1966年卒 早大卒
有賀佳弘 - 元プロ野球選手、東京六大学野球首位打者 1976年卒 早大卒
岡田源三郎 - 元プロ野球選手、野球殿堂、元明冶大野球部監督 明冶大卒
日野弘美 - 元プロ野球選手 1933年卒 明治大卒
宮下義雄 - 元プロ野球選手 1934年卒
安永正四郎 - 元プロ野球選手 1934年卒
太田健一 - 元プロ野球選手 1937年卒
望月潤一 - 元プロ野球選手 1937年卒
小林善一郎 - 元プロ野球選手 1937年卒
海部和夫 - 元プロ野球選手 1949年卒
齋藤精宏 - 元プロ野球選手 1954年卒 早大卒
佃明忠 - 元プロ野球選手 1954年卒
河西宏和 - 元プロ野球選手 1955年卒
相沢邦昭 - 元プロ野球選手 1959年卒
河原田明 - 元プロ野球選手 1959年卒
高橋外喜雄 - 戦前の甲子園出場時の名投手 1927年卒 早大卒
本橋精一 - 戦前の甲子園出場時の名投手、戦死、早大卒
宮井勝成 - 元早実野球部監督、早実OB会会長、中央大野球部総監督、中央大卒
和田明 - 元早実野球部監督 1955年卒
中屋恵久男 - 元社会人野球選手、学生日本代表。元西武・石毛宏典のライバル。 1975年卒 早大卒
清水隆一 - 元熊谷組監督 1978年卒 早大卒
弓田鋭彦 - 甲子園出場時投手、ベスト8 1978年卒 早大卒
山岡靖 - 甲子園出場時投手 1979年卒 早大卒
荒木健二 - 早慶戦で山岡靖・広岡資生(姫路東)との三者連続ホームラン。荒木大輔の兄 1979年卒 早大卒
阿久根謙司 - 元東京ガス監督 東京六大学野球名ピンチヒッター 1980年卒 早大卒
小沢章一 - 千葉英和高校監督、2006年逝去 1983年卒 早大卒
栗林友一 - 1980年度夏の甲子園準優勝時主将 1981年卒 中央大卒
小山寛陽 - 元関東一高監督 1982年卒 早大卒
藤野素宏 - プロバスケットボール選手 日本人3人目のABAプレイヤー。
外池大亮 - 現役Jリーガー Jリーグ湘南ベルマーレ在籍、1993年卒、早大卒
原田正彦 - 陸上競技、2002年箱根駅伝2区区間賞、1998年卒、早大卒
打矢二郎 - ラグビー、1989年度大学選手権優勝、フランカー 1985年卒、早大卒
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関連項目
早稲田大学
早稲田大学高等学院
早稲田大学本庄高等学院
早稲田中・高等学校
早稲田渋谷シンガポール校
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外部リンク
早稲田実業学校HomePage
早稲田実業学校校友会
早稲田大学 - 大隈を支えた人々 -天野為之
早稻田實業學校硬式野球部のすゝめ