長崎南山中学校・高等学校
長崎南山中学校・高等学校(ながさきなんざんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は長崎県長崎市上野町に設立された私立男子校である。(長崎県内の男子校は聖母の騎士と南山のみ) 近隣には「この子らを残して」などを記した作家永井隆氏の書斎だった如己堂(にょこどう)、浦上天主堂、平和公園などの原爆遺構が数多く存在する。
目次 [非表示]
1 校訓
2 校歌
3 概要
3.1 歴史
3.2 部活動
3.3 行事
4 卒業生
5 外部リンク
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校訓
人間の尊厳のために(Hominis Dignitati) この目標の元「高い人格」「広い教養」「強い責任感」を育成する
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校歌
1.真理を掲げ われら若人
広き世界に 知識を求め
睦みて共に いそしむ明日
仰げ明るき 希望の光
南山 南山 われらの母校
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概要
開校 昭和27年(1952年)
所在地 長崎県長崎市上野町25-1
学科 全日制普通科(公立からの進学生徒、南山中学からの内部進学生徒を併せた3年制。特別進学コース、国公立進学文理コース、私立理系、私文特進、私立文系の5コース)、
制服 濃紺のブレザー上下。山本寛斎がデザインした。
他の中高一貫校制に比べて、長崎県内の公立中学校からの入学率が高い。また校則にも県内男子生徒のみ募集、となっている。このせいか昨今騒がれている「野球留学」の生徒は皆無に近い。
校舎の傍に、離島や遠隔地出身者のための寮「南山寮」が建っている。
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歴史
昭和15年(1940年)文部省よりカトリック長崎教区経営の東陵学園が同市東山手町に設立される
昭和20年(1945年)8月9日 現在の校舎を使っていた旧制長崎工業学校(現長崎県立長崎工業高等学校)が原子爆弾の災禍に遭う 犠牲者校長以下教職員29名、生徒192名。行方不明6名。現在校舎の前に慰霊碑が建立されている
昭和27年(1952年) 設立母体が南山大学の母体、神言修道会に移行される
同年9月 現在の地に校舎が完成する
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部活動
野球部は春夏合わせ数回の甲子園出場歴がある。
武道が盛んで剣道部・柔道部は長崎県有数の強さを誇る。
ラグビー部、バスケットボール部、バレーボール部も全国経験がある強豪である。
多くの部は校内に練習場を持つが、野球部、ラグビー部は長崎市三川町に専用グラウンドを持っている。また専用の寮設備も整っている。
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行事
烏帽子岳(長崎県佐世保市)でのオリエンテーション 入学生全員参加行事。頂上にある施設で、3日間行われる。
慰霊祭 南山独特の行事。その年亡くなった同校に貢献した人々や、在学生徒の遺族を祈りや賛美歌などカトリック形式で祀る。
クリスマス会 年の終わりに催される。
運動会 他校の運動会と内容はほとんど変わらないが、男子校らしく小豆袋をいくつ持てるかなどの「力比べ」がある。
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卒業生
前川清(歌手)
杉町攻(野球選手・元西鉄ライオンズ投手)
平浩二(ラグビー選手・U-19日本代表、サントリーサンゴリアス所属)
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外部リンク
長崎南山中学校・高等学校公式ホームページ